もう昨日の事になりますが、以前から個人的に気になっていた訴訟の判決(といっても地裁)が出ました。
俗に、被告サイドから環境ホルモン濫訴事件と呼ばれているようだが、↓にURLを貼っておくので詳しくはそこで。一言で言うと、学者Mのシンポジウムでの発表内容に学者Nが自身のHPの雑感でそれを批判したら、学者Nが学者Mに
名誉毀損(民事)だとして訴えられたというもの。
http://www.i-foe.org/自分もブログで意見とか批判を書いたりしているので、こんなのがまかり通ったら、こりゃかなわんなと。原告が勝訴してしまうと、実質的に表現の自由は形骸化しかねないと思い、注目していた。まあ、昨日の判決で原告M教授の請求は棄却されたが。とりあえず一安心といったところか。
しかし、何だって裁判所使うかねぇ。学者なら学者としての議論で決着つけようと思わなかったのだろうか。単純に理解に苦しむ。
私見だが、私は「批判」というのは、論理展開におかしなところあったり、間違いがあった場合にそれを指摘することだと考えているが(論理学的にも常識だと思うが)、このことは当然「誹謗中傷」には該当しないし、相手の社会的評価は直ちに下がるものではないと考えている(そもそも批判は内容について問題にするのであり、相手の人格云々は対象としていないはずだ)。
もし、裁判所が「批判」が「誹謗中傷」であると言ってしまうと、ほとんどの人は処罰や制裁を恐れて、何も言わ(え)なくなるだろうし、終いには議論すら行われなくなる。そもそも議論には、一方的な意見を受け入れやすい人達や情報リテラシーの低い人達にも、どの意見が筋だっているか、説得力があるか判断し、どの立場を取るか選択の余地が出てくるため(間違った考えを受け入れて害を受ける、もしくは与えるリスクが減る)、そのためにも「批判」は必要である。
だが、いい加減なことや嘘だと思えた発言に対して、それを指摘しても、それらが誤っていることを証明できなかったり、勘違いや頓珍漢な批判がなされる場合もある。それが全て「中傷」であるとして相手の社会的評価を下げると裁判所が認めてしまうのならば、これでも誰も発言しようと思わなくなるだろう。これで表現の自由が保障されているとでも言えるのだろうか。
そういう風に私は考えているので、判決内容によっては危機感を感じていたので(裁判所の見解はともかく)今回の判決には一応ホッとしています。