親拒んでも15歳未満輸血、信仰より救命優先…学会指針案信仰上の理由で輸血を拒否する「エホバの証人」信者への輸血について、日本輸血・細胞治療学会など関連5学会の合同委員会(座長=大戸斉・福島県立医大教授)は、15歳未満の患者に対しては、信者である親が拒否しても救命を優先して輸血を行うとする指針の素案をまとめた。
「信教の自由」と「生命の尊重」のどちらを優先するかで悩む医療現場の要請に応えて検討を始め、「自己決定能力が未熟な15歳未満への輸血拒否は、親権の乱用に当たる」と判断した。このきっかけになったのは、多分先日のエホバの証人の輸血問題の影響なのだろうけれども、まあ、生命を尊重すべきであると考える立場から疑問の声が出ていたのもあるだろうし、医師としての倫理からも至極もっともな指針案だと思う。
上の指針案では、15歳未満が自己決定能力が未熟と判断しているわけだが、この設定が妥当なものなのか検討する必要はあるだろうし、未成年の信教の自由の有無、若しくは制限されるべきなのかも考えるべきだろう。
というのも、15歳未満が自己決定能力が未熟であると仮定して、その子が実はエホバの証人の信者であり、輸血を拒否した場合に、医師はその意思を尊重すべきなのか、それとも救命すべきなのか。またその親権者がエホバの証人の信者でなく、輸血に同意したときにも、未成年者の信教の自由が制限されることになるが、輸血すべきなのか。さらに自己決定能力が未熟だから信教の自由が制限されるとした場合、輸血は可能になりそうだが、15歳未満であっても12歳程度であれば教義を理解できなくもないであろうから、その時点において彼にも信教の自由があると考えることもできうるわけだから、年齢による信教の自由の制限の判断基準も議論しておいた方が良さそうに思える。
雑感だが、先日のエホバの証人信者の輸血拒否については、医師との同意がなされていたのだから、医師の判断が正しいと言えるかどうかは意見が違ってくるだろうが、責任はないように思う。医師としては見殺しにするようなもので嫌な気分だったかもしれないが。
エホバの証人の信者の患者に輸血した結果、最高裁判決で医師が損害賠償の責任を負わされたという判例があるので、迂闊に輸血できないし、輸血しないならば、それはそれで一般人・世論から批判されるという板ばさみでは、何だか医師に少し同情してしまいそうだ。
憲法20条1項前段では、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」と定めているが、変な方向でも保障しすぎるのも考えものだなぁ、と思った次第。
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